本のススメ

一般・雑記

最初に結論を書いておきます。

ぜひ子供には視野を広げ知識を身に着けるために、本を読む習慣をつけてほしい。
そのためには自分も本を読む習慣があって、面白い本にすぐアクセスできるように環境づくりをしておくことが大事である。

本を読むということは、現代を生きる私たちにとって、豊かな人生を送るためには必須の手段だと考えます。
子どもに本を読む習慣をつけてほしいと願う親が多いのも、その通りだと思っています。

ただ、本を読む習慣をつけさせる、ということはなかなか容易ではありません。ダイエット目的で食事や運動を意識し始めても続かない人が多いのに、まして人に自分がいいと考える習慣をつけさせることなんて難しいに決まっています。

それでも、少しでもその可能性を上げることができないか、ということを考えてこの記事を書きました。
まず、本を読む習慣をつけさせるにはどうしたらいいか、そしてそもそも本を読むことのメリットは何か、そして最後にそれでもなぜ本を読むことができないのか、と3章構成で書いています。

最後まで読んでいただけると嬉しいです。

第一章:本を読む習慣をつける

小学校のころ、夏休みの宿題で一つ、今でも記憶に残っている嫌なものがありました。
そう、読書感想文です。推薦図書を本屋で買って、原稿用紙数枚にその感想を書き、先生に採点してもらう・・・

読書感想文をさせる主な目的は、本を読む習慣をつけさせる、アウトプット力をつける、この二つなのだと思いますが、私としてはちょっとこれは欲張り過ぎだろうなと思います。特に本を読む習慣を身に着けさせるという大人の目的は、子供には見え見えです。これで推薦図書が面白ければ問題なかったのかもしれませんが、私が小学校~中学校の間に読んだ推薦図書はどれ一つ記憶に残らず、読むのが苦痛だったことだけ覚えています。読むのも苦痛だったものを、さらに感想として文字起こしさせるなんて、ちょっと盛りすぎだなと今でも思います。アウトプット力を鍛えるという目的だけなら、小学生では好きなことを書かせるだけでも十分鍛えられるはずです。
それはそれとして、今回は本を読む習慣をつけさせる、という方に焦点を絞って話をしていきます。

私の場合、本を読む習慣は読書感想文とは全く関係なく、ごく自然に訪れました。
小学校高学年の時、家にあった、ジュール・ヴェルヌ作の『海底二万里』にたまたま手を伸ばしてみました。恐らくは『バックトゥザフューチャー』で「ジュール・ヴェルヌ」というワードが出て見覚えがあったから、といった程度のきっかけだったと思います。実際読み始めると、文字から掻き立てられる想像の世界に興奮したことを今でも覚えています。この経験の後から、図書館にある、児童向けの絵本よりも活字多めで絵が表紙だけの本も読んでいくようになりました。絵がなくても十分楽しめることに気づいていったのだと思います。

私にとって幸いだったのは、家に本がたくさんあったということに他なりません。
父は読書家で、アイザック・アシモフのSF小説などを好んでいました。私は別にアシモフに傾倒はしませんでしたが、父の買っていたたくさんの蔵書の中には、短くておもしろい星新一や、言わずと知れた夏目漱石などの文豪の小説、あるいはその時代に流行っていた評論文などがありました。その蔵書の中で、たまたま自分にあった本、『海底二万里』に出会えたことがその後も活字を読んでいくことにつながりました。

話は少し逸れますが、私は中学の時に受験をして地元の進学校に進みました。そこで驚いたのは休み時間に勉強をしている人がいる、という事実です。地元の小学校では全く見たことのない光景でした。当時それは「中学生になったから、休み時間がの過ごし方が変わったのだ」と考えましたが、市立の中学に進学した人と話をすると誤りであることがわかりました。休み時間に勉強なんてしてたら、「がり勉」とバカにされて、下手したらいじめられるかもしれない、と。
私の中学校で休み時間に勉強をしているのは、「中学生になった」からではなく、「進学校だから」というのが正しい理由だったようです。

話を戻します。例えば私がたまたまよい本に出会えて、また本を読んでいきたいと思ったとします。しかし両親が全く本を読まない人だったらどうだったでしょう。本を読んだら目が悪くなる、本を読むくらいなら外で体を動かせ。この意見は賛否が分かれる程度には正しさを含んでいると思いますが、子供にとって親がダメ出しした習慣を続けるには、それなりの継続力がいります。家の中でダメ出しされるからと言って、おしゃれな喫茶店でコーヒーでも飲みながら読書をしよう、という選択肢は当然ありません。最初はもしかしたら学校の図書館で読むかもしれませんが、小学校で休み時間や放課後に本だけ読むなんてことが続くことは考えにくいでしょう(それでも続けるという場合は余程読書と相性がいいと思いますので、ぜひ認めてあげて欲しいところです)。

「休み時間に勉強をする」ことが当たり前の学校で勉強をしても目立ちません。しかし「休み時間に勉強をする」ことが世にも珍しい学校で勉強をしていては浮いてしまうのは当然です(かといって、いじめられていいわけではありませんが)。
「本を読む習慣のある家」で本を読むことは普通ですが、「本を読む習慣のない家」で本を読むことは異質です。

本を読ませたい、勉強をさせたい、運動をさせたい・・・親の願いは様々ですが、そう願うのであればそれが当然の環境を子供に与えてあげるのが、一番自然で無理のない方法だと思います。真逆のことを当たり前にしていて、それを人には勧めても人は変わりようがありません。煙草をふかしながら「健康が大事」と言っても説得力がないように、また、自分は家に帰ってから一切勉強をしていないのに、子供にだけ「勉強しろ」と言う親に説得力はないように。

そもそも他人を変えるということはかなりの労力がかかることを知っておくべきです。
それは自分の子供にも言えることです。
しかし、子供を大切に思う気持ちがあり、そして子供のことを大切にしてあげる時間があれば(時間管理などについてはまたいずれ書きます)、十分変えていくことはできます。もちろん、完全にレールの上に乗せるようなことはすべきではないですし、そもそも現代では無理だと思いますが、間違っていないと思われる方向を向かせることはできるはずです。

第二章:本のススメ

さて、そもそも本を読む習慣をつけた方がいいと考えるのはなぜでしょう。
この考えは私オリジナルの考えではなく、読書感想文をさせているくらいですので、恐らくは日本の教育方針の一つとしても考えられている程よい考えなのでしょう。

私はその根幹は想像力を鍛え、知識を蓄え、理解し評価をする力を育てることができるからだと考えます。

想像力

”想像力”というのは、何かを発明する力と同一視されることがよくありますが、もっと広い意味に私は考えます。身近なものとしては、目の前の他人が何を考えているかを考える力も想像力の一つだと思います。例えばいつも夕ご飯を料理してくれている、あなたの夫・あるいは妻が今日はしていなかったケースを考えてください。あなたは一日仕事をしていて、パートナーの方は一日家にいたとします。この場合あなたは「一日家で暇にしていたのに、サボっていたなんて、なんとだらしのないやつだ」と、最初からケンカ腰で怒るでしょうか。あるいは「どうしたの?」といつもと様子が違う理由を尋ねるでしょうか。当然ですが、長くパートナー関係を維持したければ前者より後者の方が勧められますよね。体調が悪かったのかもしれませんし、出かけにあなたが言った言葉でひどく傷ついていたのかもしれません。こういった色々な可能性を想像することを放棄して、初めから「サボっていた」と決めつけてしまうのは、想像力の低い方が陥りやすい状況です。

さらに”想像力”の範囲を広げてみましょう。今度は目の前の人ではなく、ネット上の見たことのない人同士の話を例として挙げます。
私はスマホなどのガジェットも好きで、そういう掲示板を読むことがあります。例えば「ワイヤレスイヤホン」についての掲示板をみていると、こういう意見があります。「ワイヤレスイヤホンみたいに便利なものを使わずに、未だに有線ケーブルのイヤホン繋がってるやつって頭おかしいんじゃね?」みたいな書き込みです。どうでしょう?ちなみに私はワイヤレスイヤホン派で、四六時中イヤホンを付けた生活をしています。その便利さは理解しているつもりですが、「有線イヤホンを使っている人は頭がおかしい」というロジックには全く納得できません。ちなみに反対意見として「ワイヤレスイヤホンは音質が悪いわりに値段の高い、コスパが悪い」などもよくみます。さて、いかがでしょうか。どちらの意見も想像力の足りない方々の発した言葉なのだなと思います。例えば、「便利さ」でいえば、ワイヤレスイヤホンでは、ケーブルがないことやスマホがなくても電話が出れるなどがありますが、反面充電が必要であったり、ペアリングなどの手間があります。この便利さと不便さは、それぞれの人の主観で決まってきます。充電が定期的に必要なことは全くデメリットに思わないという方にとっては、ワイヤレスイヤホンは便利さの際立った商品でしょうし、長時間にわたって聞き続ける人にとっては時々外して充電すること自体かなりの手間に感じるかもしれません。また「コスパ」という言葉もガジェット好き界隈ではよく見る言葉ですが、カタカナの略語でいかにも正しい言葉にみえますが、その実かなり主観的な言葉です。いくらお金をかけるか(コスト)は、その人の経済事情や買う目的によって変動しますし、パフォーマンスについては便利さ重視か音質重視かなどでいくらでも評価基準が変わってきます。こういったことを全く想像せずに、自分の主観だけで「頭がおかしい」などと相手にレッテルを貼る行為は、私からすると自分の評価をただ下げているだけに思えます。

知識

何か困ったことがあると、いつも信じているかどうかに関係なく、私たちは神様に助けを乞うことがあります。それはお腹が痛くてトイレにこもっている時であったり、お金がなくて人生を賭けたギャンブルをしている時など。
ただ、神様がその願いを聞き入れて助けてくれたことというのは、これまでの人類史で果たしてあったのでしょうか。中世あるいは近代まではそういうこともあったかもしれません。生贄をして雨ごいをしたら雨が降ったなど、もしかしたら神様が願いを聞き入れてくれたこともあったかもしれません。しかし時代が現在に近づくにつれて、私たち人類は、あらゆる自然現象を細かく解析して、全てを物理的・生化学的な原因と結果でとらえるようになりました。雨が降るメカニズムは神様が命令しているわけではなく、海洋で発生した水蒸気がだんだんと水や氷の粒となって重くなって落ちてきているという現象にすぎません。最近では人の感情、幸せであるとか不快であるとかいう感情ですら、実は脳の中の物質の作用によって引き起こされている現象であるということもわかってきました。

お腹が痛い時、私たちは神様に祈るのは最後にして、まずはこの痛みがヤバイ痛みなのかどうか、具体的にどう行動をすべきかということをまず考えた方がよいです。痛みについては別途まとめていますので、こちらを参考にして下さい。
お金がなくて、カイジのようにギャンブルに走る、その何歩も前に知っておくべきだったお金の知識はいくらでもあったと思います。

こういったそれぞれの問題に対して私たちは専門家に聞くということができます。病気のことなら医者へ、お金のことなら税理士や役所に相談に行くなど。しかし、そういった専門家に尋ねる前に、やはり自分自身で最低限の知識というのは身に着けておくべきでもあります。その、最も効率のよい情報収集法は本だと思います。

ここ最近はインターネット上でも、YouTubeなどでも優良なコンテンツがたくさんあることは重々承知しています。しかし、そういったコンテンツを配信している情報発信者の誰もが本から知識を得ています。それは本が反復性に優れていることや、映像教材と違って能動的にみないといけないこと、出版の段階でしっかりとしたチェックが入っていることなどがあげられます。

残念ながら例に挙げた病気やお金のことは義務教育中に詳しく習うことはありません。自分の身を守るには自分で情報を積極的に集めていく必要があり、その一助となればと思い、私はこのサイトを書いています。

理解し評価する力

『海底二万里』を読んでから、私は色々な名著を浴びるように読んでいきました。次第に、海外文学・古典文学も読むようになっていきました。現代小説にも必要ですが、海外や古典文学にはより想像力が必要になります。初めてドストエフスキーの『罪と罰』を読んだとき、舞台となったロシア帝国時代のペテルブルクを想像する必要がありました。どんな街で、どんな格好をしている人が、どんな暮らしをしているか。ここまでくると単なる想像力だけではなく知識も必要になってきます。そもそも時代背景がわかっていないと、なぜ主人公が殺人を犯すほど貧窮していたか、なぜ金貸し老婆がターゲットとなったのか、出だしからストーリーはわかっても、面白みが十分わかりません。

より深く物事を理解するには、知識と想像力、その両方が必要となってきます。
そのどちらかが欠けても、理解をするには十分とは言えません。
知識がなく想像力だけの人の考えというのは、現実味のないものになりがちですし、知識だけがあって想像力がないという人は、このご時世インターネット上の文献に勝るはずもなく、知識を上手に運用することができません。

お金の知識があって、ちゃんと複利計算ができたり、投資リスクを想像できた上で将来のために、少しずつ余剰資金を投資に回す。運動習慣が長期的な健康には大事だという知識があって、もし運動をしなかった場合の心血管系の疾患のリスクの上昇や、疾患によってもたらされる介護期間の延長や、病院で点滴に繋がられていること、手足が不自由になってしまうことなどを想像して、これらを回避するために今日から運動をしようと行動できる。

これらの具体例でもお分かりのように、想像力がないと未来を見据えることはできませんし、知識がないとそもそもどういうことをする・しなければお金に将来困ってしまうのか、健康を害して辛い思いをしてしまうのか、考えることすらもできません。

もちろん、適切に理解した上で、これらのことを自分の人生観から評価して、行動に移すかどうかを決めるのは別の話です。将来のことはあるけれども、今この瞬間を一番大事にしたいということで余剰資金も使い切る、運動をするよりも自分の好きなことに時間を使う、などは全然アリな話だと思います。しかし、これはあくまでその土壌に立たなければ、この選択肢を見据えることもできません。

自分の人生を自分で決めることができるようになるには、知識と想像力、そしてそれらを合わせて理解し評価する能力が必須だと私は思っています。



第三章:”本が大事”は理解されない

さて、ここまで長らくお付き合い頂いたにも関わらず、最後に悲しいことをお話します。
ここまで読んでいただいた方々は、もしかしたら経験されたことがあると思いますが、”本が大事”という意見は残念ながら取り入れられない・理解されないことの方が多いです。
これは冒頭、小学校時代に読書感想文を通じて本のありがたみを理解させようとした教師の作戦に、私が全く影響を受けなかったことのように、”いい習慣だから、お前もしろ”というロジックは成り立たないことの方が多いです。血圧が高いから塩分を控えろ、肥満だから運動習慣をつけろと医師に言われたから、「はい、わかりました!」とすぐに生活に取り入れる方は、正直かなり少ないのが現実です。

「お前は想像力も知識も足りないから物事理解ができないのだ。本を読む習慣をつけることができれば、この問題は解決される。さぁ本を読む習慣をつけるのだ」・・・どうです?こう言われたら、「うるさい!余計なお世話だ!」って普通怒りますよね笑 こんなことを面と言われれば怒るのは当然ですし、そもそも言った人は言われた人がどう思うのか想像することができなかったのでしょうか。言った人は自分の方こそ想像力がないということを証明しているようなものですね。面と言われなくても、その目的が見え隠れしていたら子供心にも、「なんだかなぁ、ほっといてくれよ」と思ってしまうものです。

その為、第一章でお伝えしたように、環境を作っておく、つまり親としてよいと思える本を色々と家に置いておくことや、本を読むことが当たり前の空気を作っておくこと、本というものを自分の親は好きなのだ、ということを示しておくことくらいが、「本を読む習慣をつけさせる」方法の妥協点ではないかなと思います。それ以上の介入をする場合は、「余計なお世話だ」と逆効果にならないように十分配慮が必要です。

さて、私自身本が好きで、今でも1~2週に1冊程度は本を読んでいます。ジャンルは問いません。小説を読むこともありますし、資産運用の本や筋トレの本、サバイバル方法の本など、その時々の気分で本を読んでいます。私の妻も本が好きなので、子供が寝た後に最近読んだ本の中でおもしろかった内容を共有したりして楽しんでいます。
この記事を書くにあたって、どうして本好きの人は本を読み続けるのかという話をしました。

「本好きは小説で感動したり、知識を得ることで得られた、言葉では形容しがたい幸福感を経験している。だからまた新しい本を読みたいと思う。これは例えるなら、長距離ランナーが走りだしが辛くても、途中でランナーズハイを経験したり、タイムが縮まってライバルに勝ったり、自分の目標を達成したことで幸福感が得られ、これを一度経験すると、走るのをやめられないのと同じ」だと考えました。

こんなことを言うと身も蓋もありませんが、経験しないと分からない領域というものがあります。登山なんて全く興味のなかった私を、妻が登山に連れて行ってくれました。1回目は高山病で頭痛がひどかったり、天候が崩れて崖+暴風で命の危険を感じたりしましたが、2回目に登った時には、言葉にできないほどの感動を覚えました。山頂でゴロゴロして空を眺めたり、遠くに見える山々、下の方に見える高山の花畑、澄み切った空気。このご時世、山頂の写真なんて検索すればすぐ出ますし、登山の体験記を読んで疑似体験することなんていくらでもできます。しかし、実際に経験して得られた感動、もう一度したいという情動は人から聞いた疑似体験では得ることはできません。

本を読むことは人生を豊かにする基本的なメソッドの一つです。
私が大事だと主張している①自分と他人について ②健康と病気について ③お金について という3つを学ぶのも、やはり本からというところが大きいです。

自分の子供とはいえ、他人に影響を与えるということはかなり難しく、労力のいることです。まずは自分が本を読む習慣を身に着け、なぜ本を読むことが大事なのかということを理解した上で、ぜひ子供も本が自然と好きになれる環境を作っていきましょう。
そしてもし、子供になぜ本を読んだ方がいいのか聞かれたら、その時にはぜひ参考にいただければと思います。

大変長文になってしまいましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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